すみっこナースのひとりごと

職業:看護師 2018年に呼吸療法認定士に合格。その時の経験や日々のことをまとめてみる。

30代シンママの看護学校に入ってからの悲喜交交

こんにちは😃

 

前回はシングルマザーの私が

なぜ看護師を目指したのか

どうやって看護学校に入ったのかを書きました。

 

ひたすら努力をして自分の夢を掴んだわけですが、

この時の私はかなりガツガツとやるタイプでしたので、

壁ができると全力でぶつかり木っ端微塵にされることもありました。

その時のことをちょっと書いていきます。

 

 

とうとう念願だった看護学校に入学し、

18歳の同級生と共に勉強を始めました。

当時私は36歳。

下手すると母親の年齢です。

でも気さくに話しかけてくれる方もいて、

淋しさや疎外感は味わうことなく過ごすことができていました。

 

 

受験戦争の中でしばらく過ごしていたので、

授業が始まるとまたガリガリと勉強をし始めました。

同級生よりも年上でしたし、

色々聞かれることも多かったので、

テストが近づくと過去問を分析し、

現状の医療体制の変化を加味して予想問題を自分で考えてみたりすることもありました。

そこまでやってるので成績はトップクラスでした。

勉強して一番になる気持ちよさを一度味わってしまうと、

絶対に「わからない」なんて言いたくないと思うようになっていたんです。

 

 

座学が続けばそれで良かったのですが、

看護学校には実習がつきもの。

実際に病棟に行って患者さんを受け持つということは、

ひたすら勉強をすればいいという事ではなく、

寧ろ微妙な距離感を保ちながら心の距離を縮めるスキル、

看護師の動きをさりげなく読む力、

要領よく物事をこなす力を要求されます。

これは非常に難易度が高い(私は苦手分野です。今でも😅)

だからとても苦労しました。

 

実習では

疾患の事前学習、

治療に伴う苦痛、

社会的役割から推察される不安、

事前情報からおおよその看護計画を練っておき

意気揚々と実習にいきましたが

 

撃沈・・・・

 

患者さんに

「うるさい。もう来ないで。」と・・・・(ノД`)

 

看護学生は基本的に患者さんの体に1人で触ることはできませんし、

看護師が付いていても、

陰部洗浄と尿道カテーテルバックに貯まった尿の破棄、

足浴、手浴、清拭、血糖測定くらいしかできませんので、

ナースステーションにいるか患者さんのところにいるかしかありません。

なので私は早く患者さんと信頼関係を作りたいが為に、

患者さんを質問責めにしていました。

 

そりゃー嫌われるわ・・・(´Д` )

 

そして実習記録は膨大。

いくら事前に考えていたとしても、

指導役の看護師に指摘されて白紙撤回なんてザラ。

翌日にはまた1から作り直した看護計画を提出しなければなりません。

そもそもできない自分を見せるのが嫌だと意固地になっているから、

絶対に手は抜かないし、意地でも作る。

だから実習期間は睡眠時間が2時間が普通でした。

ちなみに要領のいい子や手の抜きどころが上手い子はちゃんと寝れてます。

 

もちろん、家事も育児もありました。

週末は子供達の習い事の付き添いで

早朝から遠方に車を走らせる必要があることも。

週末は翌週も実習があればその準備がありますし、

実習が終わっていれば考察を書かなければなりません。

なので子供の習い事の合間に

車の中にこもってパソコンで考察を打ったりしていました。

 

 

 

それはもう

毎日必死でした。

 

 

 

そしてそのストレスもあったからか

PMS月経前症候群)が悪化。

生理の前後で気分が落ち込み情緒不安定に。

もともとあった子宮筋腫が悪さをはじめて、

毎月経血量が大量で白衣を真っ赤に染めてしまうこともありました。

それに伴い貧血も悪化し、

集中力が低下して指導をされても理解ができないこともありました。

 

その時はしんどかった・・・

 

学校や実習先で怒られ、

ボロ雑巾のように疲れ果てている自分に

無邪気に笑いかけてくれる子供の顔を見て

急に涙がポロポロ出てきた時もありました。

 

辛いから「やめたい」なんて言えなかったですしね。

今ここでやめたら、自分には何も残りませんでしたから。

子供達の未来のために、ここで負けることはできなかったんです。

 

 

 

そんな時

唯一の心の支えは

子供達と

友人でした。

 

 

子供達は私が実習で忙しくなると、

茶碗洗いを手伝ってくれたり、

部屋に閉じこもって勉強している私に話しかけないようにしてくれたりしていました。

 

夕飯も手抜きが多かったけど、

文句ひとつも言わず、

いつも美味しいと食べてくれていました。

 

風邪も引かず、

大きな怪我もせず、

本当にいい子にしてくれて感謝しかありませんでした。

 

そして友人は

テスト前は遅くまで一緒に勉強してくれたり、

実習のストレスで消耗している時は、

美味しいものを食べに連れて行ってくれたり。

気分転換に旅行に誘ってくれたり。

 

本当に嬉しかったし、

心の支えでした。

 

 

私は子供や友人がいなかったら卒業できなかったと思います。

それは断言できる。

 

だから私が看護師になるタイミングとしては、

この年齢で、この環境で良かったんだと思っています。

 

 

 

さて・・・

シングルマザーが看護学校に通っていたということは、

収入をどうやって得ていたのか

気になりますよね?

学費だってかかるはずですよね?

 

 

 

その辺の現実的な話は

ちょっと長くなるので、

次のブログに詳しく書いてみますね☺️

 

 

 

読んでくれてありがとうございます😊