すみっこナースのひとりごと

職業:看護師 2018年に呼吸療法認定士に合格。その時の経験や日々のことをまとめてみる。

シングルマザーが看護師になるまで

こんにちは☺️

 

唐突ですが、

今回は私が看護師になった経緯を書いてみます。

 

私がなぜ看護師になったのか

それは「ひとり親でも安定した収入があり、子供を育てるお金が得られる」からです。

 

離婚直後は簿記の資格があるので経理事務をやってきましたが、

事務は求人も少なく、

年収200万円がせいぜいでした。

税理士や会計士の資格も考えましたが、

大卒資格か簿記1級がないとそもそも受けれないので、

子供2人を抱えて働きながら受けるには高すぎる壁でした。

 

そんな折頼りにしていた母が癌で亡くなりました。

母は看護師で、よく私に「看護師になりなさい。1人でも生きていけるから」と

言っていました。

でも私は頑として首を縦に振ることはありませんでした。

人に針を刺すことや、排泄物や吐物を触ることなんてできないと思っていたからです。

昼夜ない仕事も、土日も関係なく働くなんて無理だと。

 

母が亡くなる前日

モルヒネで意識が朦朧としている中、母は突然私にこう言いました。

「あんたのことが心配だ・・・私がいなくなったらどうやって生きていくのさ・・・」

私は返す言葉も見つからず、黙って頷くことしかできませんでした。

 

母を見送り四十九日法要を終わらせた時

フッと頭に浮かんだのが「看護師になる」でした。

 

このままでは子供の塾代や大学進学に

お金を工面することができない。

養育費も請求しても「明日振り込む」と言って梨の礫の元夫。

アパートを借りたくても

年収が低いからといって断られることもあった。

このままではダメだ。

自分を変えるんだとその時覚悟を決めました。

 

 

すると運よく児童扶養手当の更新時期に

高度職業訓練費という事業があることを知りました。

それは国から指定された職業の訓練ができる学校に母子家庭の母親が入学した場合、

国からの支援金がもらえるというシステムで、

その中に看護師が含まれていました。

支援金もひと月あたり14万円が卒業まで支給されるとあったので、

これなら勉強に集中できて確実に資格が取れると思ったのです。

 

ところが看護学校はそう簡単に入学できるところではありませんでした。

当時は社会人であろうと新卒であろうと

推薦以外は成績順で合否が決まるので、

当日の試験と面接でどれだけ点を取れるかの勝負でした。

 

そんなこともよくわからないまま私は受験をしたので、

もちろん全て不合格。

絶望や悔しさは不思議となく、

それから本気の受験勉強が始まりました。

 

お金の計算は得意でしたが、

数学は大の苦手。

二次関数なんてすっかり忘れていたし、

解の方式なんて言葉すら知りませんでした。

英語は得意でしたが、

しばらく長文も読んだりしていなかったので

点数につながることもありませんでした。

 

高校時代から頭がいい方ではなかったし、

自力での勉強に限界を感じたので、

大学浪人生が通う予備校に私は入学し、

仕事も退職して、

貯金と父からの援助金で生活しながら浪人生活をスタートしました。

 

朝9時から5時までは若い浪人生の中と共に予備校で勉強

帰って家事を終わらせてから24時まで勉強するようにしていました。

 

一日最低でも10時間

土日は最低8時間

受験が近づいた12月からは、1日12時間

これを毎日繰り返していました。

 

目標は地元の看護師養成所ですが、

勉強の目標は看護大学合格を目指して勉強していました。

 

ひたすら勉強勉強勉強して分かったのですが、

脳って本当にカロリーめちゃくちゃ消費するんですね。

その時前頭葉が熱くなるくらい勉強してたので、

運動なんて何にもせずに板チョコやお菓子をたんまり食べてても

ガリガリに痩せていきました。

 

受験はほんときつかった・・・

仕事も辞めていたので、完全に背水の陣。

これで不合格になったら娘たちと露頭に迷ってしまう。

それだけは避けなくてはいけませんでした。

勉強しても勉強してもわからないことが出てくるのが怖くて仕方がなかった。

狂ったようにセンター過去問を解いては落胆し、

模試の結果で一喜一憂する日々でした。

 

クリスマスにもなりふり構わず勉強している私に

小学5年生の娘から

「ママは合格します」

と刺繍された手作りのクッションをプレゼントされた時は本当に嬉しかった。

絶対に負けない。

絶対にへこたれない。

石にかじり付いてでも合格してみせると覚悟が執念に変わっていきました。

 

 

 

 

結果

 

看護大学 合格

養成所  合格

 

人生でこんなに嬉しかったのは

娘たちが産まれてきた日以来でした。

 

ここまで私を支えてくれた父に合格を伝えると

「よかったな よかったな 頑張ったな」と一緒に泣いてくれました。

 

努力って報われるんだ。

こんな馬鹿な私でも

勉強さえすれば未来を変えることができるようになるんだと

生まれて初めて勉強の大切さに目覚めることができました。

 

いくつになってもやればできる。

やろうとがむしゃらになれば、きっと扉は開く。

そう信じることができるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

でもね・・・

 

そう信じれば信じるほど

 

実は

 

自分を苦しめてしまうこともあるんです・・・・

 

 

 

 

 

 

続きはまた今度。

 

読んでくださりありがとうございます☺️